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20221224 年末合宿:五竜・唐松

文:竹村

期間:2022/12/24~12/31

メンバー:西田(情理3)、竹村(文3)、南川(スポ健3)、岸根(文3)、長澤(情理2)


 さのさかスキー場から入山して五竜岳、唐松岳を通って八方尾根を下るという行程で合宿を行った。積雪量の多さに予定より大幅に時間をかけてしまったが、無事に行程を完遂することができた。「今年こそは下界で蛍の光を聴くんだ」という強い思いが功を奏して年内にぎりぎり下山できた。以下にその詳細を記す。


12/23~24

京都駅~松本駅~南神城駅~さのさかスキー場(16:55)~リフト乗り場(18:26)


12月23日、夜中に京都駅を発って名古屋へと向かった。翌朝駅についてバスを降りてみれば、そこは銀世界だった。松本駅ゆきのバスに乗り換え、1時間ほど走ったところで通用止めにより名古屋へ引き返した。バスはだめでもJRは動いているので仕方なく特急を使って松本へ向かった。車窓から見ると長野は足首が埋まるほどに雪が積もっているようだった。スキー場に着いたのは夕方で、もうリフトは動いていなかった。本来はリフトで上まで行く予定だったが、スキー場の人にお願いしてゲレンデを歩かせてもらった。すでに膝ほどの積雪があって、ワカンをつけてラッセルで第一リフトの上まで上がった。今日はクリスマス・イブである。見送りに来た先輩からもらったシュークリームをテントの中で食べた。とうとう、年末の合宿が始まった。


12/25

リフト乗り場(6:10)~1665p(15:08)~1633m地点付近のコル(16:50)



 夜が明ける前に出発した。とりあえずはスキー場を脱するところまで行きたい。リフトに沿ってゲレンデをラッセルした。ここで昨晩の会議で考えた作戦を実行した。一人が空身でラッセルをして、ある程度進んだらその後ろの人が空身でラッセルをするというものだ。これは効率がいいように見えて、いくつか欠点もあった。ラッセルをした人はザックを取りに行かなければならないことと、そして何より、その後ろで控える人も半ラッセル状態になるという事だ。空身で歩いているせいで、先頭の人がいくらラッセルしても、重い荷物を持った人がそのわだちを歩けばずぼずぼっと埋まってしまう。この作戦はこの後、傾斜があまりにも急な所やあまりにも積雪の多いところで使ったが、膝くらいの積雪であれば荷物を背負ってラッセルしたほうが効率がよさそうだ。この日は天狗岳か、行けたら小遠見山までと考えてたが、その考えは甘かった。どうしても、天狗岳までは行けそうにないので尾根を少し下りた山の斜面にテントを張った。雪はどこまでも掘れるため、斜面であっても平坦地を作ることができた。この日はクリスマスという事で、大事に持ってきたケーキを食べた。


12/26

1633m(8:20)~1926p付近(15:45)


 今朝は風が強くて少し出発を遅らせた。稜線上でもなおラッセルは続いた。ここまで雪が深いと、そろそろ頭がおかしくなりそうになった。少しでも積雪の浅いところを探してみるが、どこも大して変わらなかった。今日こそは天狗岳へと思っていたが、その直前でタイムズアップとなった。一日で終わらすはずの行程を、三日目にしてまだ達成できていないことに、先行きが不安になってきた。


12/27

1926p(6:40)~天狗岳(7:45)~小遠見山(9:20)~中遠見山(10:50)~大遠見山(13:00)西遠見山手前(15:00)



 やっと、地形図上で名前の付いた山を越えた。遠見尾根にも乗った。これからはさすがにラッセルも減るだろうと思った。小遠見山でばったりスキーヤーと出会った。彼らはスキー目的だから我々のように縦走するわけでなく、先頭を歩いてくれることを期待したが、そうはならなかった。とりあえず遠見尾根に乗れたことにほっとしたが、この尾根上も膝から腰のラッセルが続いた。これでもう4日目だ。いつまで雪をかき分けなければいけないのか、ともはやあきらめに近い気持ちも湧いてきた。この日は西遠見山を目前にして行動を終了した。池の付近は平坦地で、目の前に五竜岳が見える特等席である。この日は天気が良くて、夜空の星が美しかった。闇夜にうっすらと五竜岳の影も浮かび上がって見えた。

 

12/28

西遠見山手前(6:00)~白岳(10:00)~五竜山荘(10:15)~五竜岳(12:10)~五竜山荘(13:58)




 うす暗い中を、白岳へ向けて出発した。段々と日が昇ってきて、五竜岳の山肌が赤味を帯びてきた。朝焼けの五竜岳を横目に、一行はラッセルを続けた。稜線上には大きな雪庇が乗り出していた。我々はその雪庇のぎりぎりをせめて少しでも雪の浅そうなところを探した。白岳へのコルを歩いていた時、いきなり目の前の雪庇が崩れた。急いで進路を変えて雪庇から離れた。ずいぶん大きく崩れたので、肝を冷やした。コルから白岳へ乗り上げる稜線は、あまりにも急で地獄の上り坂だった。斜面が急な分、背丈よりも高い雪の壁を崩しながら歩くような格好になって、全く進まない。私は初日の移動中にどこかでザックのバックルを失くし、ただでさえ大変なのに背丈よりも高い壁を崩しながら歩くことはどうも耐えられず、私はしびれを切らしてザックを置いてラッセルした。荷物を取りに戻ることや二番目の人の負担が大きいことはあるが、この場合、空身でラッセルしたほうが効率的に思えた。この時ばかりは、もうみんな疲れ切っていた。白岳までが、非常に遠かった。白岳から五竜山荘まではもうすぐそこである。時間があるので五竜岳ピストンを行うことにした。しかし、この日は午後から天候悪化の予報なので、急がなければならない。五竜岳は登山道がよくわからなくて、急な斜面をトラバースしたり、岩やハイマツが少し露出する斜面をピッケルとアイゼン刺して登ったりした。この時、最後尾を歩いていた私はふと思った。帰りはどうするのか。こんなところクライムダウンなんてできないよ、というところがいくつかあったが、とにかく頂上を目指すことが優先に思えて、トラバースや登りを続けた。頂上について、さてどうするかという事になった。案として、斜面を走って駆け抜けるという事が上がった。しかし、その斜面を偵察してみると雪崩の跡が見えてこれはだめだという事になった。懸垂下降をするかという事も上がったが、とても支点にできそうなものはない。クライムダウンしかないようだ。追い打ちをかけるように、さっきまで遠くにあった黒い雲が流れてきた。視界が白くなり始めた。我々は絶望を覚えた。突然、眼下に虹が現れた。アーチでなくて、丸い不思議な虹だ。これは本で読んだことがある。恐らくブロッケン現象であろう。「あんなところ下りれんやろ」「でも行くしかないべさ」案外、クライムダウンもできるものだった。ピッケルを刺して、アイゼンを立てれば、うまく下りられた。それでも足を滑らせば深い谷の底へと落ちてしまう。視界はもう50mときかない。それでも、登山道の印を見つけて、それに沿って山荘を目指した。部員の一人が山荘の匂いを嗅ぎつけた。やがて白い中に山荘が見え始めて、何とか五竜ピストンを終えることができた。


12/29

停滞

 朝から風が強く、外に出てみれば視界もきかないので、停滞することにした。停滞日と言えども、大変だった。テントを張った場所が雪の吹きだまるところで、夜中にテントを掘り返さないといけないほどだった。日中も両サイドが雪に圧迫され始めて、雪はねをしなくてはいけなかった。ずっとラッセル続きで、疲労もたまっていたため、体力回復にはよかった。それでも、寒いしテントは圧迫されるしで、大して回復した感じもしなかった。私は持ってきたボイス・レコーダーで尾崎豊を流した。自分の存在が、何なのかさえわからず震えている私の横で、雪で圧迫されたテントの端にいる西田は、寒さにぶるぶる震えていた。


12/30

五竜山荘(7:55)~大黒岳(10:50)~唐松山荘(15:11)~唐松岳(15:45)~八方尾根2554m(16:50)

 この日は最も危険な一日であった。視界はあまりよくないが、風はそこまで強くない。白岳まで登って、ベアリングをしながら大黒岳方面へと進路を取った。視界は目の前の稜線を見分けられるほどにはきかないため、地形図だよりに進むしかなかった。何度か道を間違えて、ようやく大黒岳が見えてきた。ここの稜線も相変わらずラッセルパーティーだった。樹林帯で、目の前に広がる光景から、かなりの積雪が予想できた。それでも雪が軽いため、全く歯が立たないというわけではなかった。ハイマツを踏み抜くと、ずぼっと体が落ちる。大黒岳への上りの末端まで来た。かなりの急傾斜で、絶望した。部員の一人が空身で偵察に行った。瞬間、彼の姿が急に消えた。ハイマツを踏み抜いたのだ。なかなか這い上がってこない。やっと、ひょっこり顔を出したが、後でその場所を通過した時、あまりの深さに驚いた。彼が言うには3mは落ちたそうだが、両肘を突き立てて止まったという。そうでなければどこまでも落ちる下は真っ暗闇だったそうだ。大黒岳を越えれば、雪が急に少なくなった。地面も見える。しかしここからが正念場。危険な鎖場が待ち受けるところだ。ここが今合宿の最難所なのだ。岩稜帯とはいえ、雪はこんもり積もっている。ルートファインディングが難しく、どうしようかと立ち止まったり引き返したりすることが何度かあった。そうしている間にも、強まる風は体力を奪い、手足は感覚を失い、まつげは凍ってまぶたが重くなった。時々、岩場のルート目印を見つけたが、そうでないところはどう進むべきかわからないところがあった。視界も悪いし、どこが尾根で谷かもわからないため、下手に進んで谷底へ落ちるという事も起こりかねない。それでも体は冷えていく一方で、皆ぶるぶると体を震わしている。難しいのは鎖場だと考えていたが、むしろルートファインディングだ。むしろ鎖があったほうが目印としてわかりやすい。やがて長い鎖場のトラバースを越え、また部員の一人が「山荘の匂いがします」といった。そして本当に、すぐそこに山荘が見えた。俺たちは生きてる、と思った。時間もないので唐松岳をピストンして、八方尾根へ向かった。一刻も早く主稜線上から下りたかった。八方尾根を下り始めると、風は弱まってきたが視界はますますきかなくなった。私は後輩からGPSの情報頼りに、「右です」「70度左です」という具合に指示を受けてラッセルをした。もう暗くなってきて何も訳が分からなくなってきたので、行動をやめて斜面に雪を掘り、テントを張った。この日は誰も余裕がなくて、写真は撮っていなかった。


12/31

2554m(6:55)~八方スキー場(9:25)






 今日は下山だ!下山だ!と意気込み、前日の疲れも忘れてテント撤収をした。何もかも凍りついていて、ポールは折れるし、バキバキのテントは袋に入りきらなかった。テントを出た時は視界は悪かったが、だんだんパステルカラーに空が染まっていった。水彩画のような、淡く、やわらかく包み込まれるような空だった。その淡い空に気を取られて、ふと気づいて目をやれば稜線がくっきり姿を現していた。幻想的な雰囲気だった。前日のラッセルの感じだと、この長い八方尾根を下るには相当な時間がかかると思った。しかし、この日はワカンを履いていて、うまい具合に下ることができた。むしろ夏のコースタイムより速いという具合に、まっすぐひた下った。1時間ほどで八方尾根の半分の地点まで来た。白いライチョウがじっと動かず、木の傍で丸まっていた。さらに下ると登山客が向かってきた。それからだんだん増え始め、スキー場が近いことを感じた。やがてリフトが見えた。終わった、と思った。俺たちは合宿を成功させたんだ、やってやったんだと思った。客の多いゲレンデを荒らすわけにはいかないし、そもそもここまで来たら早く下に下りたかったので、金を払ってリフトで降りた。下りるだけでもリフト代は結構な額がかかった。青春18で帰ったため蛍の光には間に合わなかったが、新年は下界で迎えることができた。



RUAC
-立命館大学体育会山岳部-

縦走やクライミングなど、一年を通して山で活動しています立命館大学体育会の部活動です。

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