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20220430 GW涸沢合宿(B班):涸沢



文:竹村

期間:2022年4月30日~5月3日

本合宿は、穂高連峰のバリエーションルート(北穂高東陵、前穂高北尾根)の登攀を目標に組まれた。例年の合宿では、前穂高北尾根の登攀は失敗続きで、今回我々は登攀達成に意欲を燃やしていた。雪崩の影響を考えて、ザイデングラードからジャンダルムピストン計画も合宿の一部に加えていた。合宿中は予想外のハプニングに見舞われたが、メンバー全員無事に帰還を果たした。





一日目。前日のうちに京都から松本駅に移動して、明くる日に松本駅から渚駅(JRは昨年の土砂崩れにより動いていなかった)までバスで行き、そこから新島々経由で上高地へと向かった。3月にこの地を訪れた時、そこは荒涼として何の活気もない森であった。しかし、今回我々が目にした光景は、まるで違っていた。陽の光を浴びてエメラルドに輝く梓川は、滔々と流れていた。この森にはすでに春の息吹が感じられた。目の前に見える穂高の山は、所々岩が露出していたが、その雪解け水を梓川は一所懸命に運んでいた。この清流をひたすらにさかのぼれば、涸沢に着く。我々は予想以上に重かった荷物にやられて、朝9時に上高地を発ったのだが、涸沢には夕方4時半ころに着いた。





2日目。この日は北穂高東陵の登攀を目指し、朝3時半に起床した。風はバタバタとテントをたたきつけ、雪も降っているようであった。外に出てみれば、昨日見えていた穂高連峰は霧の中に隠れており、涸沢小屋すらも見えないほどに視界が悪かった。も少し待機してみてから判断しようと、いったんテントに戻り、6時に様子を見たがむしろ悪くなる一方で、この日は沈殿となった。それまでプラスチックみたいな雪だったのが、昼頃には雨に変わった。





3日目。この日は朝から晴れていた。問題なのは雪崩だけである。北穂東陵を目指す予定だが、北穂沢手前で弱層チェックをすると、二つの弱層が確認された。小屋に駆け込み、小屋の人に相談した。我々はザイデングラードへ行くことにした。代替案のジャンダルムピストンは、今からでも遅くないうえ、雪崩のリスクも東陵よりは低いというアドバイスを受けたからだ。ザイデングラードはその周辺で小規模な雪崩跡がいくつか確認された。白出のコルまで、長い九十九の道を作ってひたすらに登った。コルから奥穂高までは難なく到達し、すぐにジャンダルム方面へ向かった。一つ目のナイフリッジは右側の斜面から巻くことができたため、ロープを出さずに通過した。その後馬の背、ナイフリッジとロープなしで通過できた。今年は矢張り雪が少ないのだ。ロバの耳手前のコルまで下りた。コルに下りる道はクライムダウンで行けたが、慎重に行く必要があった。コルに下りると目の前にどっかと大きな岩が立ちはだかった。今は10時半を回ったところ。天候が荒れるのは2時3時と聞いていたので、それまでに穂高山荘まで戻りたい。結局、メンバーを厳選して二人がコンテで登ることにした。残りの二人はツェルトにくるまってもらった。岩は露出していて、ロバの耳はあっさりと登ってしまった。そこからジャンダルムへは目と鼻の先。頂上には天使がいた。写真を撮ってすぐに引き返した。帰りは懸垂下降を一度して、コルに戻ってきた。視界はすでに悪くなり始めており、ここでビバークするか迷った。しかし、まだ12時過ぎである。動けないほどの天候ではないため、行動することにした。白出のコルまでの道のりは、最も険しかった。視界が一気に悪くなり、風も強くうなり始めた。地形図を使ってベアリングをしていたが、いつまでたっても着かないので、心配になった私はグーグルマップで現在地を検索した。穂高山荘までの経路を見ると、「残り60メートル、徒歩1分」と出た。経路案内をしてもらったが、なかなか見えない。されど60mならば、と諦めずに探し続けた。すると、登山道のしるしを発見し、はしごも見えた。こうして3時半に穂高山荘に到着した我々は、小屋で休んでいた優しい登山客から温かいおしるこの恩恵に与った。4時に山荘を発ち30分ほどでキャンプ場に到着した。





4日目。すでに弱層があったうえに、前日の降雪で弱層が形成されていることは自明のことであった。しかし、弱層チェックをするため、再び北穂沢手前で雪を掘ってスノーナイフを入れた。案の定の結果であったが、念のため、小屋の人と警官にアドバイスをいただいた。ザイデングラードのすぐそばに大きな雪崩の跡を見た我々は、その時点で登攀を諦めるべきだと考えていた。アドバイスの内容も然りであった。テントに戻り、少々休憩してから、撤収作業に取り掛かった。7時半、テント場を後にした。さらば涸沢、またの日に。



帰り道は行きとは比にならないほど、多くの人間とすれ違った。下りの我々は道行く人に道を譲り、そのうちの一人が「写真撮ってもいいかい?」と尋ねてきた。「構いませんよ」「ありがとうね、これ新聞にのっけてもいいかい、偶然道を譲ってくれたから、君たちの写真を載せたいんだ」「そうですか、それならば光栄なことです」我々は信濃毎日新聞(略してシンマイ)の記事に載ったのだろう。思わぬところで、こうした出会いがある。これも登山の醍醐味だ。横尾を過ぎればもう雪はなく、梓の清流沿いを下るだけである。我々は河原で羽を休めることにした。「川の歌を聴け」これほど美しい自然が他にあるだろうか。おそらく世界にはこれ以上に息をのむ光景がたくさんあるだろう。しかし、私はまだ世界を知らない。徳沢を越えて、明神も超えて、やっと上高地に着いた。河童橋を渡れば、そこはもう人間の世界であった。我々は河童の世界から帰ったのだ。河童の世界に引き込まれ、一度は吹雪の中、「Quax,quax」と河童の鳴き声すら聞こえてきそうなほどに、危な目を被った。しかし、ここはもう、人間がガヤガヤやっているケの世界。彼らにとっては上高地はハレの世界であろう。しかし、我々にとっては私服を着ている人間がうろうろしているだけで、そこはもう日常なのだ。「生きた、還った」


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RUAC
-立命館大学体育会山岳部-

縦走やクライミングなど、一年を通して山で活動しています立命館大学体育会の部活動です。

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