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20220805 夏季登攀合宿(B班):北鎌尾根


メンバー:竹村(3)、南川(3)、長澤(2)

文:竹村


 有名なバリエーションルートである北鎌尾根から槍ヶ岳を目指す山行を行った。当初の計画では、その後穂高岳縦走を続け、最後は焼岳から上高地へ下山する予定であったが、慣れない渡渉や30キロの荷物にペースが上がらず、槍ヶ岳にたどり着いた時には予備日をほとんど使い果たしてしまい、小槍~大槍の登攀をして下山することにした。渡渉、北鎌、小槍~大槍という、我が山岳部では例年にない山行計画であったため、様々な不安を抱きつつ始まった合宿ではあったが、最低限予定していた登攀計画は完遂することができた。以下に行動の詳細を記す。


8/5

京都駅~信濃大町駅


京都駅を夕方に発ち、夜中に信濃大町駅に着いた。遅延等で駅到着が遅れ、この日は睡眠時間をほとんどとれなかった。


8/6

信濃大町駅(5:00)~高瀬ダム(5:45)~晴嵐壮(8:35)~水俣川(9:20)~千天出合(13:50)~藪の中でビバーク(17:30)


 




 エメラルドの水を抱えた高瀬ダムから、高瀬隧道を通って高瀬川沿いを遡上し、湯俣に着いた。湯俣川と水俣川の出合で沢靴に履き替え、ハーネスを履き、早速川に足を突っ込んだ。川の水は水風呂くらいの冷たさで、長時間足を入れていると体が冷えて風邪をひきそうだ。保津峡から嵐山まで渡渉訓練で歩いた時は、白波がたっているところはまず歩けなかったが、ここは深くても腰ほど(身長170㎝の場合)くらいの水位のため、多少流れが速くても慎重に歩けば渡渉できないことはない。我々は結局一度もロープを張らなかったが、ちょっと油断すれば転んでしまいそうなほど足はおぼつかないので、渡渉するポイントを見極める必要があった。水深が浅ければそのまま川の中を進んだが、岸や砂州のある所はその上を歩いた。そのいずれもない場合は、急な崖の上から巻こうかと試みたが、それはそれで危なかった。千天出合より手前で、へつりにロープが張ってあった。「写真で見たやつだ」と思った。ロープ頼りにへつりをトラバースしていると、突然ロープが切れた。万事休すか!「落ちる、死ぬ」と思った。握っていたロープの固定されていた2か所のうち、片方が切れて私は宙づりみたいになったが、辛うじて落ちてはいなかった。幸い、そこの水深はそこまで深くなく、流れもそこまで急ではなかったため、ゆっくりと川に下りた。さらに進むと北鎌尾根が見えてきた。やがて千天出合にたどり着き、天上沢方面へ向かった。するとすぐに行き詰った。斜面を登って巻くしかないと思い、山の方を探索すると赤い紐がいくつかあった。登山道の印だと思い、藪の中をかき分けて巻いたが、川へ下りる斜面が急で、危険であった。その後も大きな滝が立ちはだかってやむなく斜面から巻くことがあったが、果たして他の人はどうして通過しているものかと思った。沢の中でもいルートファインディングは肝要である。予定ではこの日のうちに北鎌沢出合に着くはずであったが、それは不可能と思われたので、17時頃、ビバークする場所を探した。少し高い地点に藪があったので、その中にテントを張った。寒くて皆ガタガタ震えている。早く登山靴に履き替えたいのに、明日も沢靴で残りを歩かねばならないと思うと、腹立たしくなった。ザワザワという川の音が、我々に挑発しているように聞こえた。足がふやけて皮がめくれている部員もいた。川に皮をめくられるというのもおかしな話だが、こんなことをお笑い種にしてしまっては、私が本人からカワハギにされてしまう。初日から疲労困憊で、テント内は鬱積していたが、おかげでぐっすりと眠れた。

8/7

藪の中(7:00)~右俣(9:55)~北鎌のコル(15:02)





 藪をかき分けかき分け、再び沢沿いを歩く。川の水が伏流してきたところで、6L分の水をくみ、登山靴に履き替えた。ついでに濡れたものを干して、1時間程してから出発した。そこから出合までは遠くない。出合には竹の棒が突き刺してあり、ケルンもあるためすぐにそれと分かった。ここの登りも浮石だらけのガレ場で、足を取られないように歩く。水が湧いていたのでそれを飲みながら進む。途中で左俣との分岐があり、ここからはもう水が湧かないと思っていたが、少し進むと再び水の流れる音が聞こえてきた。水節約のため、水が湧く限りその水を飲む。右俣では上流のほうまで水が出ており、せっかく6Lの水を歩荷したのだが、それが馬鹿らしくなった。右俣はただガレ場を歩けばよいと決めてかかっていたのだが、決してそんなことはなく、登攀要素のある所もあって、しかも水が湧いていて濡れていればなお難しく、ただでさえ30㎏の荷物を背負う我々にとっては非常に骨の折れる行程だった。予定では2時間で登りきるところを、結局我々は5時間かけてしまった。右俣の行程含めて北鎌尾根を一日でやろうとしていたのだが、我々にはまだ早すぎたようだ。北鎌のコルは4人用テント一張りは悠々張れて、8人用ならぎりぎり張れるかどうかというほどの空間だ。ここはとにかく蚊が多くて、皆ぱちぱち手を叩いていた。


8/8

北鎌のコル(5:30)~独標(9:55)~p15手前のコル(14:20)






 

 コルから踏み跡沿いを歩いていくと、はるか遠くに槍ヶ岳が見えた。ここからだと尾根がただひたすら連なって何里も離れているように見えて、この先の行程が思いやられた。独標まで、ピークはほとんど巻かずに進んだ。途中でロープの掛けられた岩場があり、落ちたら終わりと思いながら登った。道はほとんど明瞭だが、所々灌木に隠れていたり、わかりにくいところがあり、道を外せば厄介なことになるのでルートファインディングを如才なくすることが肝要だ。独標が見えた。ここはトラバースで巻くか尾根上を行くかで迷っていたが、トラバース以外の道がわからなかった。とりあえず踏み跡に沿って進んだ。ロープがかけてあったので、ここだろうかと思ったが、それでも心配なので空身で偵察をした。ザックを置き、あちこち見て回っていると、ズルズルズルという大きな音が聞こえた。そして、デポしたザックの傍にいた後輩が「竹村さんやりましたね」と私を見ていった。顔が真っ青になった。顔面蒼白。私の背負っていたマカル―の色と同じくらい青くなったと思う。ザックが滑落したんだ、と思った。万事休す!嗚呼、あの中にはテントもスマホも財布も入っていたのに、私はこれで無一文なのかと、諦めながら「俺のザック?」と聞くと、「落石じゃあないんですか?」と逆に聞き返された。(なんだと!ただの落石か!)戻ってみると青いザックは何事もないようにそこに横たわっていた。ほっと胸をなでおろした。気を取り直して偵察を続けるも、果たしてその先にもロープが張ってあり、ここ以外に道がないのでそのままトラバースの道を進むことにした。中盤あたりまで進むと、トラバース道はぷっつり切れたので、直上することにした。試しに私が登って、ロープが必要と思ったのでロープを垂らしてやったが、誰も使わなかった。それから稜線まで上がると再び踏み跡のある道に出た。その先も、不安定な岩場を登ったりクライムダウンで降りたりを繰り返す。我々のペースを考えればピークは全部巻きたいところだが、道がわからないのでほとんどのピークを踏んで進んだ。空模様がだんだん不機嫌になってきた。視界も悪く、目の前に見える槍ヶ岳も霧に隠れ始めた。p15の手前、広い平地に石が積んであり、そこは明らかにビバーク跡地であった。空身で私が偵察に行ったが、p15は道がよくわからなかった。いや、道なんてなくて、ただ岩がたくさん積み重なった山だ。とりあえず登れそうなところを探して進み、ピークに立つともう槍ヶ岳の前に立ちはだかるピークはなくなった。すぐに戻って報せようと思ったが、クライムダウンが非常に怖く、だいぶん時間がかかった。偵察だけで20分くらい費やしてしまい、待たせていた部員は私が滑落でもして死んだと思っていたそうだ。無事に私が戻ると、皆ほっとして、微笑んでくれた。ザック背負ってこのピークを越えるのは大分時間を要するだろうし、時間もそろそろいい塩梅で、霧もいい具合にかかり始めてきたので、そのビバーク跡地にテントを張った。岩が積んであっても、この場所は風がもろにぶち当たるので、一晩中、風でテントがへし折れないか、吹き飛びはしないかと、不安でしようがなかった。


8/9

p15手前(9:15)~槍ヶ岳取り付き(10:55)~槍ヶ岳山頂(11:58)~槍ヶ岳山荘(12:30)












 朝の風は非常に強く、真っ白で視界もきかないので待機した。視界は悪いままだが、風が収まってきたのでテントを撤収して出発した。p15はザックを背負うと空身の時とはまるで違って、非常に恐ろしかった。ガレた岩場で一人ずつ慎重に進んだ。ここまでの行程で最も肝を冷やしたのがこの場所だったように思う。ピークを越えればあとはただのガレ場を槍ヶ岳山頂に向かって進むだけである。穂先まであと少し、気を抜かず、という標識もあった。まもなく傾斜は急になるが、登るのには全く問題ない。途中、行く手が二つに分かれた。左側にはクラックの入った壁があり、右側は見ていないからわからないが、巻き道と思われる岩場のようだった。当然我々は左に進路を取り、ロープを出して私がリードで登った。クラックの下にある洞窟みたいな空間にステッキが落ちているのが見えて、人も落ちているんじゃないかと思ったが、そこにはステッキしかなかった。難易度は高くないが、何せザックが重いので少々苦労した。しかし、冬の阿弥陀南稜で30㎏背負ってハングを超えたこの男・竹村なら行ける、と自分で自分に言い聞かせて、カムで支点を取りながら登った。残地もあったが、古くて信用ならなかったので使わなかった。2pに区切ってもよさそうだったが、私は1pで登ってしまった。もうちょい行ける、もうちょいと思ったら、いつの間にか山頂についていた。「やったぜ!3日目にしてようやくここまで来たんだ」ビレイ解除してロープを手繰っていると、隣から大きなザックを抱えた男性が、独りひょっこり登ってきた。(おいおい、まじかよ...)山頂は霧に覆われ、景色は何も見えない。晴れていればそこには多くのギャラリーが拍手喝采で出迎えてくれたろうに。右俣を登り始めてから約二日と半日、行動時間約17時間で北鎌尾根を制覇することができた。しかし、あまりにも時間がかかりすぎた。テント場に着くころには風が強く吹き始め、やっとの思いでテントを張った。その晩、天気は崩れて雨が降った。


8/10

停滞


 朝目覚めると、シュラフカバーがびっしょびしょになっていた。顔に水しぶきがかかる感覚もあった。何事かと思い起き上がってみると、テントの端が水没していた。フライがはがれているようだ。急いでフライを張りなおし、しっかりと固定する。強風で、フライを固定していた末端の紐がちぎれたのだ。この日は小槍、孫槍、曾孫槍、大槍の登攀を予定していたが、この天気なので延期した。午後になると天気が少しずつ回復し、やがて槍ヶ岳がその全貌をあらわにした。南岳方面の稜線も見える。皆、体を動かしたくてうずうずしていたので、槍ヶ岳をピストンした。頂上に着いた時には、残念ながら霧がかかって所々の青空以外何も見えなかった。帰りに小槍へのルートを確認した。ヘリポートからのトラバースだが、踏み跡を数mトラバースして突き当りをまた数m直上すると、斜め上に上がっていけそうな岩場を確認したので、そこで引き返した。


8/11

テント場(7:05)~小槍基部(7:30)~小槍(7:38ー9:02)~懸垂下降~孫槍(10:13ー11:00)~曾孫槍(11:05ー11:58)~懸垂下降~大槍(12:40ー13:20)~槍ヶ岳山荘(14:30)~ババ平(17:40)




 11日は何か物事を始めるのには良い日だと、植村直己の本に書いてあった。11を漢数字で書いて縦に読むと「士」という字になる。勇敢に、物事に勇ましく立ち向かうのに打って付けの日だという例えである。風が多少収まるまで待機し、霧の中、テント場を後にした。昨日確認したヘリポートからのルートをたどり、例の岩場を斜め上にトラバースすると、横断バンドがあった。浮石や濡れた岩が非常に怖かった。小槍は取り付くだけで一苦労いる。小槍の基部につき、1p目は階段なのでロープを出す必要はないが、岩が濡れていて風もあるため、ロープを張った。しかし、ロープは出さなくてもよかったと思った。小槍と孫槍のコルからが本番ともいえる取り付きで、ピナクルで支点をとった。小槍には残地ハーケンが豊富にある。豊富すぎて、どのルートを行こうか迷うくらいだ。私はリッジ上にルートを取り、最後のハングを越えれば頂上に着いた。終了点には残地スリングが幾重にも巻かさっていた。ハングは持ち手を探せば良いのがあるので、そこまで難しくはなかった。この時はまだ霧が晴れていなくて、非常に寒かった。クライマーでさえもガタガタ震えながら登ったので、ビレイやーはもっと寒かったろう。皆が頂上に着くころには、視界が大分晴れてきて、若干、温かくなってきた気がした。懸垂下降して、孫槍に取り付く。ここは階段なので難しくはないが、岩がガレていたので、落石に注意しなければならなかった。そこから曾孫槍を見やれば、あれはいったいどう登るのかと思った。あんなものをどうして登れるだろうかと思ったが、近くまで行って取り付いてみると、そこまで難しくもなかった。スラブになっているが、割れ目が豊富にあり、カムで支点も取れる。孫槍、曾孫槍と残地ハーケンがいくつか打ってあったので、ルートはそこまで迷わない。曾孫槍は60mロープでぎりぎり1pで行けた。しかし、本当にぎりぎりだった。頂上にはスペースがほとんどなく、3人がやっと立てる、というよりへばりつけるくらいだ。懸垂ポイントがあり、そこにパスをとって待機させた。そこから大槍の取り付きまで、リッジ上を懸垂下降する。しかし、垂直の面を下降するのと違い、緩傾斜だがやせたリッジを下降するのは大分怖かった。大槍は2pで行かないとロープの流れが悪くなるように見えたが、そこまで悪くもならなかった。ここも階段で難しくなく、60mロープであればぎりぎり1pで行けた。晴れていたおかげで、頂上には多くのギャラリーがいた。何やらカメラでパシャパシャやっているようだ。私は得意気に、難しくもないのにあえて難しい岩を登るような顔で登って見せた。頂上に着けば拍手喝采だ、と思ったが、誰も声をかけてくれなかった。でもカメラでパシャパシャやっている。カメラのレンズは私ではなく、物資を運びに来たヘリコプターに向けられていた。全員無事に登頂し、我々は3日間で槍ヶ岳を3つの面(北、南、西)から登ったことになった。槍ヶ岳三大壁面を登頂、と書けば聞こえはいいが、私は格好つけたがりなので、ちょっと気障っぽくこう表現したのである。山荘へ戻り、パッキングを済ませてババ平へと向かった。


8/12

ババ平(4:30)~横尾(6:00)~徳沢(7:10)~明神(8:15)~河童橋(9:00)


 夜が明ける前に我々はババ平を発った。昨日、槍ヶ岳に「あばよ」と別れを告げてババ平へと向かう途中、部員の一人の靴底がめくれてしまったので、細引きで修理してやった。しかし、私の結び方ではほどけてしまって、結局彼自身が結んだ方法が最もよく、河童橋まで持ちこたえた。徳沢あたりで雨脚が強まり、我々は急いで歩いた。上高地に着いた時には、雨でザックやら何やらがびしょぬれになった。始まりは沢でびしょぬれ。終わりも雨でびしょぬれ。これも、みんな風が悪いのさ。




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RUAC
-立命館大学体育会山岳部-

縦走やクライミングなど、一年を通して山で活動しています立命館大学体育会の部活動です。

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